きょうだい児の人が全員、このように考えているわけではありません。
あくまで、私個人の経験談と、それに基づく話です。
私は昔から自分のことが大嫌いだった
私は、昔から自分のことが嫌いでした。
今も、はっきり言うと自分のことは好きじゃないです。
ですが人生経験を積んで、いい出会いがたくさん会ったため、多少マシにはなりました。
もともと、自分に自信がない性格。言い換えれば、心配性で慎重な性格なのだと思います。
ただ、小学生になってから自分のことが嫌いになるようなことが多くなったように思います。
その一つの原因に、重度の知的障害を持つ弟の存在があると思います。
誤解しないでいただきたいのですが、私は弟のことは好きですし、家族として大事に思っています。
この点は、いわゆる「普通」の兄弟姉妹となんら変わらないと思います。
だから、今回のようなことを書くことには少なからず抵抗があります。
ですが、これも私の気持ちの一部ではあるので、書きたいと思います。
書くことで、同じような家庭の人やきょうだい児の人で悩んでいる人が、少しでも自分だけじゃないんだと思えるかもしれませんし。
私自身、そうであってほしいなと思っているので…。
きょうだい児が自分のことを嫌いになる瞬間
しつこいですが、あくまで私の場合です。
私が自分のことを嫌いになる瞬間には、いつも弟の障害が関わってた気がします。
例えば、弟が人前で奇声を発してしまう時。
弟は幼いころ、全然しゃべれませんでした。言葉を発した時期というのも遅かったと思います。
そのため、人と会話どころか、意味のある言葉を発するということができませんでした。
正確には、本人は意味のある言葉を発していたつもりなのかもしれませんが、すくなくとも兄である私は理解できなかったのです。
会話ができない弟にとって、何か嫌なことがあったりした際に奇声を発します。
すごく大きな声で「ああああ!」だったり「きいいい!」だったり。きっと何かを伝えたいのだとは思うのですが、わからないんです。
想像しにくい人は、漫画「光とともに」を読めば少しはイメージができると思います。
家の中ならまだいいんですよ。家族しかいませんし。
母はそのたびに大声を出してはいけないことを教えていたと思います。
ただ、人前で弟が奇声を発してしまったときなんかは、とても恥ずかしかったのを覚えています。
ですが同時に、弟のことが好きだし、家族なのになぜ自分は弟のことを恥ずかしいと思ってしまうのだろう。
自分がもしも同じような障害で、うまくしゃべれないとしたら、奇声を発するしかないのかもしれない。
それなのに最低だ。性格が悪い。人としておかしい。思いやりがない。優しくない。
こんな感じで毎度、弟が人前で奇声を発したりすると、すぐに自分のことを責めてしまうのです。
自分の心をとにかくフルボッコにしないと気が済まない、という感じでしょうか。責めても責めても気が済まないのですが。
だって、私は弟のことが好きなんです。それなのに、こんなひどいことを思う自分が嫌いだし許せない。
でも、頭ではわかっているんです。仕方のないことだって。
幼いころから、人前での振る舞い方というのを周囲の大人から教わりますし、学びながら成長していきます。
いい年した健常者で、人前で奇声を発していたら危ない人です。関わらないほうがいいです。
無意識に、人目を気にしてしまい、弟のことを恥ずかしい、と感じてしまうことも仕方がないことだと頭ではわかるのです。
それでも、そんな自分が汚く思えて、許せない、罰したいと思い、自分を責めていたんだと思います。
当時はそんなことは考えず、とにかく自分はこんなことを思うなんて最低、許せないといった気持ちから、自然と自分を責めて自己嫌悪を強めていたように思います。
人間みんな、いつ事故に遭うかわかりません。もしかしたら私も事故にあって体が思うように動かなくなるかもしれません。
うまく話すことができなくなり、奇声を発することしかできなくなるかもしれません。
そんなときに、身内である家族から恥ずかしいといわれたら…それはとても、とても悲しい気持ちになるだろうと思うのです。
人間、いつ何があるかわかりません。
明日は我が身なんて言葉もあります。
今でも自分のことは好きじゃないけど
冒頭で述べたように、今でも私は自分のことが好きじゃありません。
今なんて、いろいろあって無職で就職活動中ですし。
アラサーと言われるような年齢です。友人はどんどん結婚してたり、すでに父親として家庭を持ってる人もいます。
他人と比べても仕方がないことですが、今の自分を好きかと言えば、うーんといった感じです。
ですが自分くらいは自分のことを好きでいてあげないと、かわいそうだとも思います。
自分のことは自分が一番知っています。前述したような、自分の中の嫌な部分も一番よく知っているのは自分です。
でも、いいところを知っているのも自分だと思います。これは他人から見たほうがわかりそうですけど。
だから、自分のことを好きに思えるように、考え方を変えようと努めています。
実は、自分のことを嫌いに思ったり自己嫌悪をつのらせた経験というのは、ここに書いてある以外にも書ききれないほどあるので、また気が向いたら書いていきたいと思います。
同じように自分を責めるのが習慣になっているようなきょうだい児の人もいるのではないでしょうか。
私の場合、長男ということもあり、誰にも相談できず自分で抱えてきました。
抱え込みすぎて、ほんの少しだけ死にたいと思っていた時期もあります。
ほんとに少しだけ。死んだら家族が悲しむことがわかるのでそんなことはしませんでした。
それに痛かったり苦しむのは絶対に嫌だったし。
ただ、高い橋の上から川を見て、頭から落ちれば苦しまないかな…とか考えたことはあったり。。
でもあそこで早まらないで本当によかったなと今でも思います。
月並みな言葉ですが、生きてりゃいいことあります。嫌なことだって少しはありますが、それ以上に楽しいことだらけです。
自己嫌悪ばかりで大嫌いだった自分のことを、好きになってくれる人が世の中に存在したことは驚きました。非常に嬉しかったですし、幸せでした。
長年付き合った結果、別れてしまいましたが今でも感謝しています。
なんでも話せる友達だってできました。あのころの私には想像もできないくらい、世界が広がりました。
生きてりゃいいことあります。自分のことを過度に責めず、人間誰でも嫌なところはあるものだと思って、前向きに生きてほしいと思います。人のこと言えないけど。
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